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杏里の楽美(旅)日記

日本を巡って最も耳にした2つの言葉(47都道府県出張ネイルプロジェクトを終えて)

「残したい(遺したい)」「伝えたい」

この2つが、全国の方々にインタビューして一番聴いた言葉だった。合計2年の歳月をかけて達成し、書籍出版できた47都道府県出張ネイルプロジェクトを経て、たいへん久しぶりになってしまった今回のブログではたびびとネイリストが日本を巡って人生を振り返って感じたことを綴っていこうと思う。

生きる意味の見出し方が多様化してきた今、何を残して伝える?

「遺伝子」という言葉は「子供に遺して伝える」と書くよね?ということを後から発見し、鳥肌ものだった。英語だと「gene」だけど、どちらかというとgeneはサイエンス番組で映像として流れるようなくねくねした螺旋の図のイメージだ。日本人のいう「遺伝子」は、もっと受け継ぐ意識が強い意味合いが込められている感じがある。この漢字をあてがった昔の人は日本人としての根底のスピリットを如実に表していたんじゃないかな。

そして、一昔前なら「自分の子供を産み育てる」ということがスタンダードな「遺したい」「伝えたい」を体現したものであったが、このプロジェクトでは「次世代に遺して伝えたいんです」というインタビューを各地域で様々なバリエーションで聴いてきた今の私だからこそ、シェアしておきたいことが出てきた。

私達が遺して伝えられるものは、自分の子供以外にも色々ある、ということだ。

「ぬるま湯につかってるんよ。豊かな世代やな」

アート、歴史、地域、伝統、他者の生き様…日本全国の方々をインタビューして、子供以外にも遺して伝えたい対象は沢山あることが分かった。遺したい、伝えたいという欲求が芽生えるということは、それほどにこの世の中で”それ”が大事なものだという認識をしているということだ。さて、ここで私自身はこの人生において何が大事なのか?問うてみたのだが、皆さんは即答できる”何か”はあるだろうか?

「満たされすぎやな。困ったことないわけやん。惨めな思いもしてないし。ぬるま湯につかってるんよ。ハングリーやったらこの生活からどう脱却しようか考える。余裕があるねん。食べるものがなかったらそんなこと言えんよ。豊かな世代やな。飲み水もなくって、遠いところまで汲みにいかなきゃならない国あるやん。そんな国に行ったらどうやと思うで。いかに自分が恵まれてるかが知識としてわかるんじゃなくて、体感できる。感謝がないってことが一番不幸や。あたりまえって思っているのは良くないわ」(「生き方てさぐり出張ネイリスト、47都道府県で色んな人生を聴く」(二見書房)p.32より)

https://www.futami.co.jp/book/index.php?isbn=9784576231600

石川県でインタビューさせていただいた才田春光さんにはこんなことも言われた。「無くしたらダメだ」と思えるものの感覚が、色々豊かにありすぎて自分自身も鈍っている気がするのだ。それほどに平和で甘い環境で育ってしまったんだなあ。

かといって、枯渇感や欠乏感をあえて生み出すことも必要なのかと言われると、折角こんなに素敵な時代を生きているのだから別に良いんじゃない?とも思うゆとり世代代表。MUJIのお店に入ってみると感動するぐらい全てのモノが揃っているし、お腹が空いたなあと思ったら1歩も歩かずにウーバーイーツも注文できる。スマホを開けば時間を全て使っても見切れない程のコンテンツが、探し求めなくても勝手に提案される時代だ。逆に枯渇感を感じる環境に行く方がムズい。(人と自分を比べたら感じるかな?Instagramにはキラキラした生き方はうんと沢山あるものね)

「それでも私は、貴方(これ)を愛しますね」という生き方

そんな私が出した結論としては(ちょっと本のネタバレにもなってしまうけど)、「それだけモノや情報が溢れている時代の中だからこそ、自分で『これが良い!』と主体的に決めた物事は大事に思えるんじゃない?」ということ。言わば決断した選択肢やルートそのものを愛していく生き方になるが、これは受け身だとできない。

マッチングアプリを開けば何百万と異性のプロフィールが出てくるし、転職活動をしてもネット上には仕事の求人は(選ばなければ)沢山ある。取得したいスキルや勉強したいことも単語一個検索すれば勉強方法もYoutubeにごまんとある。

それだけ手に届くものが沢山ある中で、逆に「自分で決めた感」のあるものは尊く見えるし大事にしようと努力する訳だ。大事にしようと思うと、何かしらの生きる意味を見出せるわけだ。やっと、30歳を手前にして主体的に生きていく大切さを身に染みて感じていた。あれもこれも~と全部の選択肢が良いなと思っているうちは、受け身だったなあ、私。だから迷って焦って苦しかったんだ。

自分の感覚が甘すぎて本当に普通のことしか言っていないと思うのだが、仕事を選ぶ時、パートナーを選ぶ時、今日食べるものを考える時、ちゃんと「自分で決めてる感」を噛みしめながら、その選択したものを味わい、嗜み、愛する努力をし続けること。

「本当にみんな素敵なので、選ぶのには苦労したんですけど、私としては特にあなたが良いなと思ったので、よろしくお願いします」

みたいなことを言うドラマかリアリティーショーか何かのシーンはなんとなく既視感があると思うが、この台詞を言っている人間は大体魅力的で素敵な人のイメージがある。私自身もそれを目指したいなということである。「色々あるけど、まあ、あなたでいっか(これでいっか)」みたいな人間じゃなくてね。

モノや情報が豊かななだけの人生ではなく、ちゃんとメンタルも豊かな人生に。楽しく美しく決断して参ります。

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