Blogブログ

杏里の楽美(旅)日記

生きた明治時代を聴く。愛知県で時代を超えた旅をしてきた!(47都道府県出張ネイル~11/47愛知編~)

4月の雲一つない晴天。うぐいすの鳴き声が空気に響きわたる中、自然とスマートフォンの電源を切って歩いていた。見たことのない和洋折衷の建築物、灯台から見える静かな入鹿池、ハイカラさんの着物で歩く人、そのひとつひとつを久々に深呼吸しながら、画面越しではなく自分の目で堪能した。

47都道府県出張ネイル11か所目となる場所は、愛知県犬山市の「博物館 明治村」(以下、明治村と表記)。明治時代を中心とする建造物を全国また遠くはアメリカ、ブラジルから移築復元し公開する野外博物館だ。

赤レンガの続く道を奥まで進むと、明治時代の建造物であり、国の重要文化財である「東山梨郡役所」が見えてくる。今回はこの貴重な場所で、現代に生きていたら会えなかった偉大なる方々とアポイントを取っている(今回は事前に申請し、特別に会場使用の許可を得て実施したものです)。

明治村で温故知新!時代を超えた偉人との出逢い?

須磨子さん「明治村には『本物の価値を残す、伝える』という使命がございまして。震災や戦争、戦後の高度経済成長で、明治建築がどんどん無くなっていっておりましたの。これは後世に残さないといけないということで、旧制第四高等学校の同窓生であった谷口吉郎さん(博物館明治村初代館長)と、土川元夫さん(元名古屋鉄道株式会社会長)とが共に語り合い、二人の協力のもとに創設された博物館なんでございます。」

リッホ「そうなんですね。こういう明治村みたいなところに来て、その歴史に思いを馳せるっていうことがすごくリアルに体感できて。歴史が残っていたからこその楽しい体験だったなと思いました。」

重要文化財の東山梨郡役所。この中でネイルしたよ!

須磨子さん「温故知新という言葉がございますよね。古いものを知って新しい感覚を芽生えさせると。明治村でそう思っていただけると嬉しいわ。でも明治時代ってどんな時代なの?って聞くと、やはり皆さんぼんやりされるのね。でも本当に近代の先駆けというか、欧米から新しい文化が沢山入ってきたのでございますよ。」

リッホ「確かに実際歩いて歴史を知っていくと、明治時代って文明開化の時代で、なんか華やかで明るいというか。」

諭吉さん「そういえば文明開化という言葉、誰が作ったか知っていますか?」

リッホ「それも…諭吉さん?えーーーそうなんですね!」

諭吉さん「当時まだ概念がないものを作ったりとか、『文明開化の鐘が鳴る』という演説とか、『家庭』という概念も日本には無かったので、そういう言葉を私が作ったりとかね。」

須磨子さん「ちょっと自慢が入ったわね。(笑)」

このお2人は…??

今回ネイルインタビューを受けてくれたのは、なんと明治時代で活躍されていた日本初の女優「松井須磨子」さんと、”学問の神様”とも言われる「福澤諭吉」さんだ。この明治村で現代の若者の身体を使って「博物館明治村公式おもてなしグループ『明治偉人隊』」として活動されているという。まだ歴史の浅いジェルネイルに興味津々な様子で、明治に生きた人の目線から色々とお話をしてくださった。

人生経験こそ、仕事に投影される!須磨子さんの女優魂

リッホ「私の場合はネイルと旅を通して、色々と楽しんで前向きに色々やってみることで自分を美しくしよう、楽美(たび)をしようということを伝えているんですけど、お二人ご自身の人生のテーマみたいなものってありましたか?」

須磨子さん「私、二度ほど離婚もしておりまして、お鼻の整形もしておりますし、人生色々とございますね(笑)まあ当時ね、やはり女性っていうのは不自由で仕事にしろ結婚にしろ決められておりまして、そういった中で、女性も自由であるべきだと。そうした中で『人形の家(イプセン作)』という女性が家庭を捨てて外に出ていく内容の、日本人にとったら驚いた作品をやりましたの。賛否両論の“否”も沢山ございましたけれども、この作品を通して女性にすごく勇気を与えまして。女性もちゃんと世に出れるんだというきっかけを与えられたので、まず女性目線では過去も今も、強く生きなさいということを伝えたいというのは思いますね。」

明治村の品川燈台。視界の先には入鹿池が広がってます。

リッホ「すごいなあ。それを伝えられたのも、きっと実際に離婚の経験があったり、色々と挑戦されている須磨子さんの人生がすごく活きているんでしょうね。」

須磨子さん「そういう人生経験を通してやはり役者というものは作られるかなと思っているんでございますけども。また役者っていうのは作品を通して人生も変えられる、見方や選択肢が増える、そういう影響を与えられる素晴らしい仕事だなあと私は思っておりまして。」

リッホ「令和といえどもまだまだ固定概念みたいなものに囚われることは多いなと。女性だと特に結婚もそろそろ意識しないとかなあみたいな、世間的に。私は27の歳なんですけれども、そういった会話もよく出ます。」

リッホもハイカラさんの衣装を着て明治時代の女性になってみたよ

須磨子さん「若いわね~私136歳(笑)」

諭吉さん「僕187(笑)(笑)(笑)」

明治時代のインフルエンサー、諭吉さんの発信スタンスとは?

諭吉さん「私が生まれた時代って結婚だけでなく家柄で職業も決められてて。武士の家で生まれたなら武士だと、農民の家なら農民だと。私は下級武士の下で生まれたのだが、上級武士に何か口をたたいたらそれはもう弾圧されたりとか、出世もできないし身分格差や上下関係もすごくて。おかしくないか?と。おかしいですよね世の中が。これは変えないといけないなと思って、学問を通して世の中を変えたい!ということで、色々海外を見て分かったのが、日本人って個人で独立して何かをやろうっていう精神を持っていないんだなと。僕は日本人もこの独立精神を養わなければいけないということで学校を作りたいと思ったんだよね。私が作った学校、ちなみに…」

リッホ「慶應義塾…?」

諭吉さん「そうです。勿論学校を作るだけではなくて書籍を通して、『学問のすすめ』という本を出して色々考え方を広めたりとか、新聞とか、演説をしたりとか、手段は色々です。」

東山梨郡役所の中。こんな場所でネイルを!

リッホ「アウトプットを色々な方法でされてたんですね!」

諭吉さん「自分が、このテーマとして掲げてるのは、『独立精神を養う』。日本人一人ひとり。そしたら、海外に負けない国になるということで、色んな手段を使ってアウトプットした。当時、海外から見たら日本って弱い国と見られてた。」

現代は色んなSNSが発達しているけれども、そんなものがなかった明治時代でもあらゆる手段を駆使して発信をして世の中を変えていた諭吉さん。SNSの毎日更新が滞りがちなリッホは話を聴きながら内省した。

新しいネイル文化にも興味深々なご様子。

日本で初めて○○した2人の武勇伝。

リッホ「それこそ当時須磨子さんは日本で初めて整形された方だと聞きましたが、どういうメンタルでそこに踏み切ったのでしょう?」

須磨子さん「そもそも整形をしたのが、女優をやりたいっていうときに面接をしていただいたのよ。その時に、あなた鼻が低いから舞台映えしないって言われたの。それはもう悔しくて悔しくて。その時にたまたま新聞読んでたら、海外から整形の技術を持って帰ってきたお医者様がいらっしゃいまして。鼻筋にロウを入れる隆鼻術というものが最新であったんではございますけど、熱い時はそのロウが溶けて鼻が曲がったりとか、炎症で腫れてしまって、ひどい時は自分で冷やしてね。大変でございましたけど、でもお蔭様で女優にもなれましてね。」

リッホ「現代では整形も普通になってきましたし、それこそ骨とか身長も伸ばせたり。でもまだまだ整形に対しての考え方というのは人によって様々だなと。当時はびっくりされる方多かったんじゃないですか?」

須磨子さん「当時もうあり得なかったから(笑)。今は身長も伸ばせるのね~。諭吉先生は身長おいくつ?」

諭吉さん「当時私172cmだったんだけれども、それでも大きいって言われていた。」

須磨子さん「当時平均は157cmでしたよね、男性は。女性は147でね。明治村にある呉服座の客席、舞台前の席がマスになっておりまして。当時はそこに4人座れるようになっておりましたけど、今は2人くらいかな~。これも食文化の変化によって大きくなったと、教えていただきまして。」

諭吉さん「江戸時代って獣の肉食う文化が無くて。それが明治になって豚肉牛肉食べられるようになったんだけれども、それも広めた人がいるのかな。誰だっけ広めた人」

リッホ「え…諭吉先生かな…?(笑)色々広めてらっしゃる(笑)(笑)」

明治時代より食される「オムライス」。

人生の大先輩に訊く!今も昔も変わらぬモットーを教えて!

諭吉さん「今思うことは、心をもっと豊かにしたいなあというのはあって、自分が楽しんで、それを見ている方の心を更に豊かにする。明治時代のことを知っていただいて、心を豊かにしていただき、自分もそれを楽しんでやろうと。」

リッホ「同じくですね。自分がまず楽しむというのは大事ですよね。」

ネイルは煉瓦と矢絣模様で明治らしく和洋折衷に。

須磨子さん「私、小学校の時に国語の先生に教えていただいた『二兎追うものは一兎も得ず』という言葉が好きなの。家庭に入るか女優になるか迷っていた時期があるんだけれど、母親や兄弟からは女優の道を大反対されていて。でも思えば思う程、私はやはり女優になりたくて、家庭という選択を捨てて女優の道を選んだわ。結果、私は新劇女優として成功しましたし、後に母や兄弟も私の仕事を認めてくれましたの。どちらか選ばなくちゃいけない時、どちらか一つを捨てる勇気も必要ね。やはり一つのことを突き進めてやると、人とはまた頭の出が違うというか。そういう見方や考え方っていうのも大事なこと。何か一つに集中してやるっていうのは素晴らしいなと思ってます。」

今から100年以上前に「日本初の女優になる」という自分の夢を貫き、その夢のために整形も厭わず、明治時代を生き抜いた須磨子さんの説得力。

二兎追うものは一兎も得ずかあ…。ネイルを終えて明治村と偉人隊のお二人にお別れをして岐阜へ北上しながら、会話を振り返る。選択肢がものすごく増えた令和の時代に、この人生で夢中に追い続けられるような一兎を、我々は見つけられるだろうか。

須磨子さん、諭吉さん、ありがとうございました!

To be continued…

【愛知編:須磨子さんと諭吉さんから学んだこと】

①歴史を知ってこそ日常に豊かさを感じることが増える!

②伝える手段はひとつじゃない!思いつくツールは全てやろう!

③何かを極めるためには何をやらないか?を考えることも大切。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事