謙遜は置いて、世界へ行きな!9カ国にだるまを展開する中田千尋さんの後押し(47都道府県出張ネイル~20/47群馬編~)
長野県に続き向かった先は群馬県高崎市。日本一の生産量を誇る伝統工芸品“高崎だるま”が有名なこの町は、駅や道路の至るところに様々なだるまさんが置かれていた。
腹ごしらえに味噌だれこんにゃく定食を食べつつ、Instagramで今日お会いする方にもう一度目を通す。年間7万体を生産するだるまのふるさと大門屋で、9カ国にだるまを展開、3カ国語を話せる5代目だるま職人の中田千尋さんは、スマホの画面からでも活き活きとしていた。
高崎駅からバスを使い、川沿いを歩いて数分。だるまのふるさと大門屋のお店の中は大小様々なだるまさんがお出迎えしてくれた。
これから様々なお願い事と一緒に目を書かれるであろう何体ものだるまさんが、ビシーっと並んでいる光景は圧巻だ。ネイルの準備をしていると、商談をされていた千尋さんがお部屋へご案内してくれた。(サバサバした話し方の中に、Instagramのお仕事着のイメージとも相まって、千と千尋の神隠しに出てくる「リン」を思い出した。)
過呼吸になるほどの壮絶な3年間。だるま職人になったきっかけは?
リッホ「もともと千尋さんは昔からだるま職人を目指そうっていう感じだったんですか?」
千尋さん「全然。大学生の時は見た目とか制服が可愛いからCAになりたいなとか(笑)。国際学部ってところにいたんですけど、3年になる頃には友達がアメリカとかヨーロッパとかお洒落な専攻をする中で、やっぱり日本文化に行ったんですよね。そこがきっかけでだるまの歴史について卒論書いたりして、だんだんとだるまに帰ってきた感じです。」
リッホ「きっかけというよりは、だんだんと立ち返っていった感じなんですね」
千尋さん「本当にCAになりたいのかって思った時、CAになっても多分1番になれないなって気づいて。やっぱりどこかで1番になりたいって考えたときに、だるまだったらなれるかもしれないし新しい可能性に挑戦できるかもしれないって思って実家に戻ってきたんです。でも、甘かった。人生で1番つらい3年間を社会人の始めは過ごしましたね。」
リッホ「結構厳しくお父様から教えられる感じだったんですか?」
千尋さん「しごかれるどころじゃなく、別に教えてくれない。そもそも朝おはようございますっていうと、『また来たのか』みたいなレベル。今パワハラって言われている世間じゃどうなる?みたいな。しんどかったですね、会社で過呼吸になったこともあったし、突然円形脱毛症になったこともあったし。」
やりたいなら言語化しよう!半年で中国語を習得した千尋さんの教え
リッホ「そこからこうどのように今に至るんですか?」
千尋さん「入って3年後ぐらいにもう本当に無理だと思って、1回会社飛んでるんですよね。当時コロナ前は年間1万人ぐらい絵付け体験で海外からお客様を受け入れていたので、それがきっかけで中国語を話さないといけない時が会社であったんです。社会人5~6年目ぐらいの時かな。それで社長が私を戻したくて、海外の家族を日本にホームステイで来させたんです。私も英語を話さなきゃいけない状況になって、その子達が台湾の子だったので、中国語にも縁があって。」
リッホ「じゃあそこから言語をお勉強していったんですか?」
千尋さん「半年で中国語は習得しました。気合いですね。これって決めたらやるんですよ私。絶対やる。Instagramにも『私中国語習得します!』って書いて、言っちゃった以上習得しないと恥ずかしいじゃないですか。」
宣言したからにはやるっきゃないと、自分を奮い立たせる背水の陣戦法。半年前に47都道府県出張ネイルのプロジェクトをSNSで宣言して、パブリックに言語化するという偉大さを肌身で感じていたリッホは、千尋さんのスタンスに大共感した。覚悟を決めて宣言すれば、とにかく一旦は身体が動くのだ。
本当のプロはここまでやる。120点を提供するための心がけとは?
千尋さん「習得しなきゃいけないなって思ったきっかけが、当時絵付け体験の料金が880円だったんです。英語圏の人にも880円、中華圏の人たちも880円なのに、日本語で話す人たちと同じ情報量を提供しないと、お客様に失礼じゃない?お金をもらうにはそれだけの情報量と技術と能力がないと、お金もらうのに値しないよねって。基本私お客様ファーストで仕事しているので。」
リッホ「なるほど、お客様ファーストなんですね。その中でだるまを作るときとか、接客以外のお仕事で大事にしていることとかってありますか?」
千尋さん「その時々ですよ。例えばこの間“だるおん”っていうフェスがあったんですけど、それでだるまを納品する時に、最初のセッティングから撮影の配置とか、全部立ち会ったんです。ディレクションもなんでもやったんですね。」
リッホ「職人さんって専門的なイメージですけど、千尋さんはその枠を超えて大局を見ている感じなんですね。」
千尋さん「普通の職人さんだったら、こういうのを作ってくださいって言われたらそのまま分かりましたって言ってそれだけ作ると思うんです。でも『いやこのフェスだったらこういうだるまにしてこうする方が良くないですか』っていう提案があった方が本物のプロじゃないですか。100%求められて100じゃなくて、80%求められて100か、100%求められて120で返すか。それが他社との違いになってくると思うんですよね。」
リッホ「プロとしてめちゃくちゃ大事なことを聞きました。確かにそうですね。言われたことをやるなら誰でもできるんでしょうけど、そこが差になってくるんですね。」
世界へ行くなら謙遜は要らない。日本の美徳を弱点にしないで!
リッホ「人気のだるまとかあるんですか?」
千尋さん「今はアマビエばっかりかなあ。うちアマビエに本当に感謝していて。コロナ禍でもアマビエがあったからずっと黒字なんですよ。アマビエだったら家に置いても良いかなって、20~30代のファミリー層が買ってくださったり。伝統工芸品ってまだ日本だと手に取りづらいのか、海外の人の方がだるまは面白がってくれますね。あと海外に出た後の日本人の方が伝統文化にちゃんと目を向けやすい感じはありますよね。」
リッホ「それはめちゃくちゃ感じます。私カナダにワーキングホリデー行ったときに悔しかったのが、日本のことを何も説明できない自分がいて。英語で日本文化を話すのも難しいけど、そもそも自分の国の歴史とか文化を知らなかったな、パッと出てくるほどアンテナ張ってなかったなっていうことが凄く多くて。それが結構心残りで、日本に帰国してからはもうちょっとアンテナを張ってみようと思えましたね。」
千尋「私も海外にいた時に、謙遜とかしてたらもう一生チャンスが回ってこないなと思ったことがあって。10カ国ぐらいの人が集まって、自己紹介と自分の国自慢をしていこうっていう時があって、私はだるまのこと喋ったらいいやと思ってたんだけど、突然2番目に来たから、『あ、いいよ先』って違う国の人に回したんですね。そしたらもう自分の番は一生回ってこなかった。他の国の人は『うちが1番凄いんだ』っていう勢いで話してて。謙遜とか言ってたらもう世界で通用しないからね。」
ネイリストこそ、世界へ行きな!千尋さんからのメッセージ
千尋さん「日本のネイリストさんって海外飛んだ方が良いよって思うんですよ。海外行ったときにその国のネイルサロンを見る機会があって、日本のネイリストのレベルってすごく高いなって私感じてて。やっぱり海外の人の方がカラーとカラーの組み合わせとか奇抜だし、それをレベルの高い日本人のネイリストがやったらどうなるんだろうってずっと思ってて。」
リッホ「カナダにいた時もそうでしたね。結構神経が繊細というか、やっぱり初心者でネイリストを初めた日本人でもご指名していただけるんだなって感じていました。」
千尋さん「そう、めっちゃレベル高いよ。海外に行ってどんどん知名度を上げていけば、例えばハリウッドでネイルやってるとか、そういう人になってくるじゃないですか。」
47都道府県が終わったら次は196カ国出張ネイルだね!と冗談のように周りの人から言われることもあったここ最近。今日の千尋さんとの会話で、いよいよ背中をバーンと叩かれたような気分だった。次なる大きなステージを一足先に教えてくれ、後押ししてくれた千尋さんに感謝しながら高崎を後にした。お土産にピンクとターコイズの綺麗なアマビエだるまさんもくださったのでそれを手に持って電車に乗った。車窓の淵に置いたアマビエだるまさんのつぶらな瞳が、「できるよ!」と言わんばかりにキラキラとこちらを見つめてくれていた。
【群馬編:千尋さんから学んだこと】
①言葉を味方につけよう!言語化すれば人間は動く!
②本当のプロなら、言われたことの先まで見据えてお仕事しよう!
③遠慮や謙遜はしすぎないで!1番先に手を挙げる気持ちでいよう!
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