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杏里の楽美(旅)日記

生きてる人と、繋がれる。現代アートと学芸員の魅力とは?(47都道府県出張ネイル~4/47富山編~)

石川県での出逢いを経て心がキラキラに生まれ変わった気持ちで、リッホは次なる場所へ向かっていた。高速バスで金沢から富山まで約2時間。向かった先は、今回の47都道府県プロジェクトで1番最初に受け入れを快諾してくれ、何も前例が無かったリッホに大きな1歩を踏み出させてくれた場所だ。

富山市ガラス美術館(TOYAMAキラリ)~

館内もすごく芸術的!!!

ガラスと富山ってどんな関係があるの?

受付でスタッフの冨弥さんと合流し、美術館の中を直接案内してくださることに。

富山市が街づくり「ガラスの街とやま」の取組みを始めて30年ほどということだが、そのガラスは富山が「越中富山の薬売り」と江戸時代から300年以上謳われている歴史が背景にある(調べてみたところ諸説あるようだが)。かつて江戸の大名が腹痛になっていたところを、富山藩の前田正甫が江戸城に参勤した折に、お手製の薬を飲ませて回復させたという「江戸城腹痛事件」をきっかけに、「薬といえば富山だ!」というイメージが広がっていったという説もあるようだ。そしてその薬の入れ物として、明治・大正期にはガラスの製造が盛んに行われていたことや様々な理由から、富山では薬とともに生産され広く使われたガラスを推しているという。

江波冨士子《水》《火》《風》《土》(左から時計周り)
全て2014年 富山市ガラス美術館蔵
「コレクション展 ヴェネチアン・グラスと現代の作家たち」
(展示期間:2021年12月18日(土)~2022年5月15日(日)まで) 

ちなみに“薬”といえば西洋医学のカプセルや錠剤を彷彿させるが、当時でいう薬とは東洋医学の漢方薬だ。漢方は薬草や鹿の角等で作られるが、黒部・立山連峰が連なる富山は、鹿も薬草も育ちやすい漢方素材の宝庫だったのだ。

富山のガラスに関する資料についてはこちらをクリック】

ガラス美術館の館内にはコップぐらいのサイズから一部屋分の空間に及ぶ作品まで、大小様々なガラスアートが展示されていた。2Dと3Dでは、アート作品と自分との距離感が、全然違う。「吸い込まれるような絵」という表現はよく使われるけど、ガラスで創られた作品達はよりその「吸い込まれる」感覚が鮮明に感じられるような気がした。

創ることだけがアートの仕事ではない!学芸員の魅力を聴いてみた。

浅田さん「美術館って、生活必需品ではないじゃないですか。でも、ちょっと荒んだ時にこそ豊かになる場所というか。江戸時代に、浮世絵が緩衝材的に使われてた時代もあったんです。重要視されなくなった時に、海外に渡った作品があるんですね。そしたら海外の人が『何これ!?』って着目して、その後逆輸入で再評価された過去もあって。紡いできた歴史を喪失しないようにちゃんと守り続けていくのも、(私たちの)仕事かなと。

世界中のガラスアートの美しさを楽しんだリッホは、実際にガラス美術館で学芸員としてお仕事をしていらっしゃる浅田さんにネイルをしながらお話を伺った。浅田さんは美大に通われていた経験の中で、0→1で何かを生み出すアーティストになるのは自分は違うのかもと思い、それでも美術に関わるアルバイトを学生時代からする中で、召されるように学芸員になったという。

「創る、生み出す」ではなく、「つなげる、橋渡しをする」というアートへの関わり方。そんな学芸員の魅力を、アートを愛する浅田さんから思う存分に聴くことができた。

リッホ「学芸員をやって良かったことは?」

浅田さん「制作の裏側を見れるっていうのが私は一番かなと思います。また、当館では日本以外の現代ガラス作家も多く取り上げてて、海外とこんなに繋がれる分野って少ないんじゃないかなって思います。あと、学生時代に江戸時代を研究対象としていた身としては、(現代アートだと)作家さんがご存命で、直接お話が聴けることは何よりも価値があるように思います。例えば、制作意図や普段の制作のことまで生の声が聴けることは作品の理解を深める上で大切なことのひとつです。

リッホ「しかも自分が好きなジャンルでそれができるのが最高ですね」

浅田さん「そうなんです。お仕事で、注目の作家さんを調べることが出来て、その延長線でお話まで直接聞ける。幸せです。

「好きなことを仕事にする」って、特段アートの分野だと何かの理由で諦めたり挫折してしまった話もよく聴くし、人によっては「好きなことを仕事にすると、嫌いになるからあえてしない」と言う人もいるだろう。しかし、クリエイトするだけが仕事ではない。そのジャンルの中で動詞を変えた仕事をすることで、さらに自分の好きを追求することもできる。浅田さんの学生時代から今までの人生の一部を聴いて、学芸員の魅力と共に、仕事の楽しみ方にも様々なバリエーションがあることに気づかされた。

まだまだ知られてない学芸員の仕事。たびびとネイリスト、新たな楽美の予感?

浅田さん「楽しいです。でも学芸員って意外と知られてない職業なんですよね。」

日々アートの世界の最前線でお仕事をする学芸員の皆さんに、もっと沢山のスポットライトがこれから当たっていきますようにと願いながら、浅田さんのネイルもキラキラに明るく仕上げていった。

外観画像は公式から抜粋。建築デザインも素敵!

富山市ガラス美術館が入居する建物TOYAMAキラリという複合施設は、世界的に有名な建築家である隈研吾さんが手がけたものだ。その外観が見たことのない素敵なデザインだったので、デザインに反映。またガラス美術館で展示されていたデイル・チフーリさんの作品≪シャンデリア≫の瑠璃色がとても印象的だったので、青く透明なジェルでその要素も投影した。そしてここ数年ネイル界で最も流行ったデザインのひとつ「ガラスフレンチ」を「ガラスの街とやま」にあやかって施した。

外観画像は公式から抜粋。建築デザインもステキ!

浅田さん「(この47都道府県プロジェクトを)美術館限定でやってみても面白そうですよね。まだまだ知らない美術館や、そこで働いている人を紹介してほしいです。」

アートと聞くと“作る人”にフォーカスしがちだが、学芸員をはじめそこで働くスタッフさんこそ色々な面からものすごいボリュームの作品を見ている人達だ。47都道府県出張ネイル~美術館編~という文化貢献の旅を、浅田さんと話しながら妄想した。

「コロナ禍でも、大変でも、やる。」浅田さんのモットーとは?

浅田さん「負けず嫌いなところがあるので、どちらかの選択肢で迷った場合は、難しそうだなとか、面倒で大変な方を選ぶようにしていて、大体そういう方が結構面白くなったりとか、後々良い結果に繋がるということが自分の経験の中で多いです。昨年富山ガラス大賞展という国際公募展を私が担当したのですが、コロナ禍での開催は、作品が世界中から無事に届くかどうかも保証されていない。中止か、開催か。絶対中止の方が決断としては、容易です。ただ、やるっていう選択を市としてし決定しました。まずは、コロナ禍で制作状況が悪化している作家の救済措置として、出品作家を対象として助成金を支給しました。また、外出制限や行動制限によって来場出来ない方々に向けてVR展示室やYouTube講演会など、沢山の試みにチャレンジしました。結果的には大変なところも多かったですが、打って一丸となったので成功に繋がったと思います。今後のヒントになる部分も多く、本当に開催出来て良かったです。」

浅田さん、冨弥さん、ありがとうございました!

リッホ「今後将来的に浅田さんがやっていきたいことは?」

浅田さん「自分が美術館で学芸員として関わる以上は、作家さんの何かしらの支えになっていきたいなと思うので、若手作家の支援とかも将来的にやってみたいなと思ってます。どういう形になるかはまだ想像できてないんですけど、色んな形の支援の仕方があると思うので、考えていきたいですね。」

自分が学んだことを還元できる人になりたい。取材の最後にそうおっしゃった浅田さんの言葉を反芻しながら、新潟行きのバスに乗った。既に4都道府県目が終わった時点でも、かなりの学びと影響力を身体全体で感じる。学芸員という仕事は、世界の何十人何百人というアーティストにインタビューしている中で、どのくらいの感動とインパクトを感じているのか、想像もつかなかった。

【富山編:浅田さんから学んだこと】

①好きなことを仕事にするのに動詞はひとつじゃない!

②好き嫌いせず色んなジャンルや手段にアンテナを張ってみると、いつか繋がる

茨の道こそ、未来に繋がる糧がある。

To be continued…

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