たびびとネイリストの幸福論。
東京でホテル暮らしを始めて早10ヶ月。
普段拠点になっている滞在先は、とにかく駅近で立地の良いホステルに落ち着いたため、専ら東京メトロが生活の移動手段となっている。
ある日電車でスマホを見ていると、世界中の民族を撮影している女性写真家ヨシダナギさんの取材記事に辿り着いた。
「アフリカのスリ族には、そもそも”幸せ”って言葉がないんです。彼ら曰く、人と牛が死ぬこと以外は悲しくない。それ以外のことは全て幸福なので、特に”幸せ”という単語は必要ないんだそうです。」
かたや顔を上げてメトロの電車広告を見てみると、
「令和における幸せとは?」
「現代の”幸せ”がここに凝縮された一冊!」
といった自己啓発本の広告が貼られている。
「山本さんにとっての幸せとは何でしょうか?」
先日約1ヶ月の取材を経て、テレビ朝日のサタデーステーション「令和の若者幸福論」にて少しだけ私の生活が取り上げられた。
「動くことです」
とその時は答えていたが、自分自身も幸せを追い求めるために動き回っている部分もあるんだろうなあ、とも思う。(幸せのために動けるその過程そのものが幸せ、そしてそれを周りの人達にも反対されず支えてくれている環境こそ幸せ、と最終的に行き着いていったのだが)
本やテレビで「幸せ」について取り上げられるほど、世の中は”幸せ”というものに興味があるのだなぁ。
文化が発達すればするほど選択肢も増えるし、価値観も多様になる。幸せのバリエーションは増えているはずなのに、文明が発達しているから、ありとあらゆる”普通”のレベルが上がっていって、その平均値から少しでも落ちているところがあると、なんだか知らないうちに欠乏感に陥る。このスパイラルが、幸福度ランキングがなかなか上がらない日本の現状じゃないかしら?
そもそも”ネイリスト”っていう仕事がある時点で、だいぶ幸せじゃない?
ある意味、自分が美しくなることに投資でき、人を美しくするために働いて生活ができるのは、幸せかどうかはさておきとても豊かなこと。
美容やアートを愛したり、それを極めようと思えば極められる環境は、なかなか幸せレベルの最高の地点にいると思う。
他の国では、水が飲めなかったり、紛争があったり、好きでもない人と無理やり結婚させられたりしている。「来月のネイルどうしようかなあ〜」なんて悩みは、そんな中で出てくるわけがない。
基準を作るから幸せと不幸せが生まれてしまうのだと思うのだけれど、「ネイリスト」という職業が成り立つのかどうかは、結構その基準になり得そうなお話しで。
将来は色んな国の人にネイルができたら面白そうだなぁって思っている自分の頭によく湧いてくる、「ネイリスト」という一つの豊かなお仕事ができていることの幸せ。
別に幸せって言葉を使わなくても良いのだろうけど。きっと日本にいると、真面目に考えすぎながら生きちゃうのかもしれない。もっと楽しく、ユルく、自由に生きたい。
たびびと(楽美人)ネイリストと言っておきながら、まだまだ模索中の身です。笑
幸せという言葉はある意味、「今ある環境に感謝」かもしれませんね。
美味しいご飯がどこにでもあって、温かい銭湯に入れて、可愛い爪でラテを飲めている新宿三丁目のスタバより。
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